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20230604 菖蒲・紫陽花

6月2日に台風一過。6月4日に 広瀬神社と馬見丘陵公園にアジサイと 菖蒲を見に行きました。

菖蒲は本来、生薬として用いられたそう。根茎は胃炎,発熱,ひきつけ,創傷,打ち身,リウマチなどに煎液やおろしたものを服用,塗布する.歯痛には粉末をすり込む.根茎や葉をそのまま,あるいは刻んで布袋に入れて,煮だし汁を熱いうちに浴湯料として使用すると神経痛,リウマチ,不眠症,神経の疲れなどに効果がある.ただし,煎液の服用では悪心や嘔吐を催すため,最近は用いられない。
強い芳香を持ち,葉が剣状であるため,古くから魔除けとして利用された.またショウブが尚武に通じることから尊ばれ,端午の節句にショウブを軒に挿したり,風呂に入れたりする風習がある.

…って、花はそのついでの鑑賞だったのか?(笑)

廣瀬神社の紫陽花。

お寺に紫陽花が多いのは、医療技術が確立されていない時代、梅雨特有の急激な気温の変化によって日本各地で流行病が伝染し、多くの人が命を落としたと言われていて、亡くなった方への弔いの意味を込めて、人々は梅雨に咲く紫陽花の花をお寺の境内に植えたのだといいます

そのため死を連想させる花になったようで、庭に紫陽花を植えるのは死を連想させるため良くないとか、お見舞いに紫陽花の花は禁忌とか言われるように。紫陽花さん…、災難ですね。

プロンプト 子供の頃のお気に入りの本

子どもの頃のお気に入りの本を覚えていますか ?

幼児の頃、父親が読み聞かせしてくれた子供向けの本の中で一番気に入ってたのが「不思議の国のアリス」。2番をあげるとしたら「オズの魔法使い 」でも路線としては近い?メーテルリンクの 「幸せの青い鳥」はあまりハマりませんでした。

様々なところへ行き、非日常の不思議な人との出会いや経験をして、彷徨いながらも、決して自分を見失うことなく、それらの事物や現象と関わり乗り越える。でも最終的に 夢から覚めて現実へ戻る。ロードムービー的童話。

「不思議の国のアリス」は出てくる登場人物がかなり非日常で寓話的だったりが子供にとって視覚的に面白く、どんな時にも常に自分を保っているアリスの強さが好きでした。自分探しの旅、人生の冒険そのものですね。

アリスについて少し調べていると、「不思議の国のアリス症候群」というキーワードが。ん?いつまでも夢の世界を彷徨ってる女性のことか??と思い続きを読むと…。

小児期に一過性に起こることが多く主症状は幻覚(幻視)で、周りの物が突然大きく見えたり、小さく見えたり、歪んで見えたり、色が異なって見えたり、現実とは異なるものの見え方をしたりするのが特徴。

この疾患は、作家でもあり「不思議の国のアリス」の著者であるルイス・キャロルが、自らが体験したことを主人公のアリスのエピソードとして書き記したのではないかと考えた、イギリスの精神科医ジョン・トッドにより1955年に命名されました、とのこと。 あぁ…、なるほどね…。

プロンプト 影響を受けた本

影響を受けた本を3冊挙げてください。 なぜですか ?

アラカンともなると。さすがに今までの人生で影響を受けた本は沢山あります。自分の年齢やその時々の状況、人生のステージによって変わってきて、例えば日本人の「思春期の麻疹」とよく言われる太宰治。高校生の時にハマってほとんどの本を読みましたが、すっかり卒業。最近、精神科Dr.のYou Tubeを見て、そうか、境界性人格やったんやなぁ、と納得したりして。

ここ1〜2年 読んだ本で影響を受けた本を3つあげるとすると「7つの習慣」と「人生のピークを90代に持っていく」もう1つは家族の誰が買ったのか分からないけど、家にあった漫画 「般若心経」

これらの本は、私にとって羅針盤。これからよりよく生きるための方向や方法を示してくれます。

「人生のピークを〜」家系としては長生きリスクが高いので…。まだ30年以上も生きることになるなら、計画的に、社会的存在としても、健やかに生きて死にたい。趣味や社会的活動などやりたいことは、人の去来に振り回されず、信念を持って、一人になってもやるつもりでと。それは確かに大切。この先は、誰もが病気や死など、どうしようもない事情が増えてきますしね。

7つの習慣。この一冊で、一般人の人生の、たいての悩みには答えられるのではないかと思われます。

般若心経。これは人として社会の中で生きていく上での真実。哲学です。

熊野古道 松本峠

三重県にまだ置いてある実家の管理上の所用で、熊野古道の一つ、松本峠を歩いてきました。出身高校のすぐ上にありましたが、私が高校生の頃には名前は知ってましたが、ただの山越えの旧道。その頃は熊野古道も今ほど脚光を浴びる事なく、当然整備もされておらず。通った記憶すらありませんでした。

熊野古道とは、紀伊半島南部にある熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)と、伊勢や大阪・和歌山、高野及び吉野とを結ぶ古い街道の総称であり、ユネスコの世界遺産にも登録されています。 熊野古道と一口に言っても範囲は広く、伊勢路のほか、紀伊路、小辺路、中辺路、大辺路と、5つの道があります。山岳信仰と結びついたその道々は、険しい山々を越えて繋がっています。

松本峠は、伊勢路の途中にあり、熊野古道の中でも登り口が国道のすぐ近く。コースが比較的短く、ほとんどの道に石畳が残り、眺望も良いことから観光客にも人気のコースだそうです。

峠にはお地蔵さん

父親がまだ幼児の頃なので昭和の一桁の頃。熊野大花火を見るために、船で大泊まで来て、手伝いの女性に背負われてこの峠を越えたのを覚えていると、随分前、一緒に登った時に話してくれました。

展望台で故郷の海を眺めながら、カスタード鯛焼きを食べて、妹とそんな父親の思い出話をあれこれ。寂しくなりました。

鬼ヶ城ルートには展望台。
七里御浜が眺望できます。

プロンプト 友人の人間性

友人の人間性のどのような点を最も大事にしますか ?

アラカンの この年になるまで、学校へ行き仕事をし子供を育てて生活していると、沢山の人と出会いました。 幼馴、高校の友達、 大学の友達、飲み友、ママ友、仕事の友達、 習い事の友達。どこまでを知り合いといい、 どこから友人というのか問題はありますが。

20代のまだ自分探しの頃は友達100人出来るかな派。直感的に面白いなと思った人とは、すぐご飯行ったりしていました。体力も時間もある20代。多くの「他人という鏡」に自分を写して、徐々に自分を見つけていった感じでしょうか。

結局、明るい人、じゃないと続かないかな。その人なりの信念を持って前向きにキチンと仕事をし、日々を暮らしている人かどうか。 出会いのきっかけは何であれ、考え方や生き方の違いはあれ。

飲み友達は、自然消滅。そういえば、夜にしか会わない友達は友達とは言わないと昔、聞きました。非日常場面でしか会わない友達は、友達とは言わないのかもですね。

成長と新世界

去年の5月から買い始めた レオパードゲッコーのレノンちゃん。冬の間 あまり食べなかったり 発情拒食で心配しましたが 、なんとか大きくなりました〜。

この目の形が可愛いなあ

飼い始めて1年。環境に慣れたのと体が大きくなって動きも活発になり、給餌のため開けてると、 ゲージから外に自分で出てくるように。

背中の斑点も増えました

いつもゲージ越しに見える外の世界、部屋の中が気になっていたのでしょうね。お気に入りのシェルターがある安全なゲージの中は好きだれど、大人になって外に興味が出てくるお年頃。

ふーん。って感じかな?

落ちないようにそのまま ハンドリング 。二の腕の辺りまで登ってじっと部屋の中を見ていました。ここはアフガニスタンの砂漠じゃないけれど 怖い敵はいないよ。

爬虫類の飼育は哺乳類のそれとは全く違う世界。試行錯誤で分からない事や戸惑うことも多いけど。新世界、面白いなあ~。

プロンプト 信仰

宗教を信仰していますか ?

一般的な日本人で、正月には神社にお参り、仏教寺院に花を見に行き葬式ではお経。特定の宗教の信仰はありませんが、アラカンともなると愛別離苦、家族同然のペットや親との別れを経験するように…。決して来ないと思いたくても、その時はくるもの。

実家は三重県のド田舎だったので、曹洞宗でお経は般若心経。子供の頃から親族家族の死に際して聴き詠んできたことから、アラカンとなってからお勉強してみようと、解釈付きの経本を買いました。意味がわかると聞いていても詠んでいても、全然違ってきます。

信仰。心の持ちようかな。病老死苦、必ず来る人生の試練をただただ悲しんだり、怖れたりするだけではなく、見つめて受け入れること。

楽百年之夢 琵琶湖疏水

家族の所用のついでに、琵琶湖疏水辺りと記念館を見学しました。インクラインや南禅寺、水路閣の辺りは何回か観光で行ったことがありましたが、琵琶湖疏水にしっかり向き合ったのは初めて。近代都市としての京都の、水、電気、都市計画の歴史の礎がここにあったなんて…。

扇ダム放水路出口
楽百年之夢(ひゃくねんのゆめをたのしむ)
意味 :琵琶湖疏水完成から百年、その夢をたのしむ

平安京以来、千年以上にわたって日本の都であった京都は、明治維新における事実上の東京遷都によって人口の約3分の1が減少し、「いずれ狐や狸の棲家になる」といわれました。しかし、人々はただ嘆いたのではなく、京都と大津を結ぶ「希望の水路」琵琶湖疏水の建設に、都市再生の望みを託したのです。

インクライン跡。勾配差の大きな箇所はモーターで舟を運搬。

明治14(1881)年、第3代京都府知事に就任した北垣国道は、琵琶湖から引いた疏水の水力で新しい工場を興し、舟で物資の行き来を盛んにしようと計画しましたが、予算取りにも計画にも3年以上を要し、明治の土木技術での工事は過酷を極めました。

工事は延べ400万人の作業員を動員し、日本で初めて竪坑(たてこう=シャフト)を利用したトンネル掘削工法を採用するなど、技術的な工夫を行いながら進められます。トンネルを掘り進む中で湧き出る大量の地下水など、多くの問題に悩まされつつも、約5年に及ぶ難工事の末、明治23(1890)年に第1疏水が完成しました。この頃の日本では、大規模な土木工事は外国人技師の設計監督に委ねるのが普通でしたが、琵琶湖疏水の建設は、設計から施工まですべての工程を日本人の手で担った、最初の事例となったそうです。

100年先、その頃自分自身はもうこの世に居なくても、 未来の人々が快適に住まい、文化的な生活が出来る都市を夢見て作った疏水。自分自身のこれからの在り方、これから自分が「未来」の人々に対して出来ることは何か。を考えるきっかけになりました。

観光地のど真ん中にあり、入場無料です。永観堂の紅葉や南禅寺に湯豆腐食べに行ったついでにでも。

プロンプト 人生で犠牲にしてきたもの

人生で何を犠牲にしてきましたか ?

幼馴染、かな?三重県のド田舎の出身で、高校を出てから、大学進学で田舎を出て、社会人、結婚、転職と、住む場所を替えてきたのと、両親も定年退職後に奈良県に住み替えているので。幼馴染と会うのは、同窓会くらいてしたが、それもコロナですっかりご無沙汰。

子供の頃からの生活圏を大きく替えていない人は、アラカンになっても幼馴染との交流がメインだったりしたり、細かい家庭事情を親同士どころか先祖代々のことまで知っていたりで。

今は各々別々の人生でも、子供時代や青春の多感な時を同じ場所で過ごした人間同士のコミュニケーションの気楽さ、羨ましい反面、既定路線が原則のガチガチの濃密な人間関係の中で細やかに気を使ったり、不条理にもある程度耐えて伝承を旨に、やってきたんだろうなと思う。

家庭環境や継ぐべき家業、人生には選べる事と、選べ無いことがある。どっちが良いとか優れているいう問題ではないけれど。世界も日本も地域も、前列と伝承では立ち行かなくなった不透明で先の見えない時代、自分軸を持って変化に適応していくしかないのは確か。それをしていくために、幼馴染との交流が心の支えになるのであればそれはそれで良し。

プロンプト 好きな果物

好きな果物を5つ挙げてください。

蜜柑、八朔、キゥイフルーツ、林檎、柿

蜜柑の産地、三重県の田舎で育ったので、蜜柑は一年中家にありました。温州みかんから夏みかんまで。あと林檎も、父親が好きだったためかほぼ常備。昔、インド林檎ってあったなあ。

そのためか、今でも家に果物、特に柑橘類がないと不安でスーパーに走ります(笑)食後も果物は必須。デパ地下のお洒落なメロンやお菓子やケーキよりも、八百屋さんで売ってる果物が好き。たくさん食べるから。父親は晩年、毎食後と間食に蜜柑を食べ過ぎて軽い糖尿病になったほど。

生まれ育った環境って、どうしようもないもんですよね。